2013年10月29日火曜日

安全宣言と決意文

決意文と言うのは一般的に、決意表明の文ということではなく、今後二度とこのようなことが無いように、上司等に文書をもって上告するという書類です。もうミスはしないと心に期したことを申し上げるということです。

しかしながら、安全宣言についても、その前提として不安全の状況があったからこそ、安全保全の宣言に至るわけで、安全宣言をする前提として【決意文に該当する】意思決定の文書が(あるいは相当する文書)が原稿として存在しないといけないということにもなりましょう。ただ、決意文が個人に帰する問題であるのに対して、安全宣言への決意は公けの存在であるという点で、表面上、安全宣言に関して「決意文」を作成するという概念はありません。

決意文と決意表明【エピソード】

決意表明のを記した文書を決意文という場合がありますが、あまり聞きなれない言葉ではないでしょうか。そもそも、決意表明自体はビジネス上ついてまわる事柄ですが、年に何度も縁するものでもありません。従って、決意文にしても押して知るべしというところです。

ところが、ある組織・結社内で【決意文】を固有名詞として使っていたところがあります。オウム真理教です。『修行するぞ。修行するぞ』のように、自身への修行を鼓舞する内容が書かれている文書です。一時期、マスコミでも話題にはなりました。この場合の決意文という名称は実にストイックというより他ありません。そもそも、決意自体がストイックなものですが、決意表明というと少し明るさを感じるのは筆者ばかりでしょうか。

オウム真理教は解散し、また新たな組織(教団)ができましたが、そこでも『決意文』は存在して使われているのでしょうか・・。